2012年4月30日月曜日

77便の飛行コースについて


ペンタゴンに衝突した77便はダレス空港から目的地のロサンゼルスへ西進しましたが、オハイオ、ケンタッキーの州境付近で反転しワシントンに戻ります( 独立調査委員会報告書の図)。このページでは、飛行コースのうち最後の数分、衝突の前に最後にほぼ一回転する旋回をしたという部分について説明しています。


図1. 藤田氏による77便の最終的な飛行コース
参照元と思われる画像: フルフォード『暴かれた9.11疑惑の真相』(扶桑社、2006年)の附録DVDの11分24秒の画像。DVDは、911 Eyewitnessloose change を参照していると書いています。後者に該当する場面はありません。前者は未確認ですが、テーマはWTCに限られているようなのでこの画面を含むかは疑問です。作成者は不明です。フルフォード氏は「テロ機は東側からやってきて急旋回し、アメリカ国防の中心人物の居場所をわざわざ避けて、反対側のいちばん強固な部分を狙ったことになる」(p69)と書いているのであるいは彼かも知れません。

2008年1月10日、民主党の藤田幸久議員が参議院外交防衛委員会の質問にさいして提示した77便の最終的な飛行コースを示す写真は、いわゆる公式発表のものとは異なると指摘したところ、あきれたことには、いまだに、あるいはこんなものを公式見解に基づくものだと主張する方がいる(※)ので、念のために若干の資料と共に、藤田氏の図が公式見解に基づくものではないことを説明します。藤田氏の図のような飛び方はヘリコプター以外の本物の飛行機では不可能なことは無視します。一応およその概念図と解釈することとします。

※「藤田議員が説明した飛行コースはそもそもペンタゴン当局と米国政府機関が発表したものなんだよね。そして、『パイロット達』が指摘する飛行コースというのはNTSB(国家運輸安全委員会)が77便のフライト・レコーダーに基づいて製作したシミュレーションCGのものなんだよね。」 当然ながら「なぜか」その根拠を全く示していません。根拠を示せば容易に反論できるのに的外れピンぼけのガラクタを並べ立てて反論したつもりでいるようです。出典は下線部分で検索願います。良く調べずに、こんなマヌケを書く人は日本では多分一人だけですから、すぐに見つかります。スペイン在住の方のようですから世界で一人でしょうか。

藤田議員の示した図と良く似た図があります。掲載しているページの説明とともに紹介します。旋回半径が大きくなっている点は異なりますが、ペンタゴンが、周回コースの内側に入る点、北から飛来している点が共通点です。

スティーブ=ケッペル氏の分析

"Analysis of Flight 77, Flight Path by a Former Air Force Pilot", by Steve Koeppel, The Power Hour

によれば、『パワーアワー』のサイトにこの文書が掲載されたのは、2002年の12月14日以前です。作成は、おそらくは事件直後と思われます。

作成したのは、元パイロットのスティーブ=ケッペル氏です。彼がどのようにして作図したか見てみましょう。日付が不明ですが当時のロイターの図解の説明を根拠にしたと言っています。参考にしたという部分は以下です(番号はロイターの付けたもの)。

  • (3)ダレス管制塔の管制官が空域内を飛行場の東南東をホワイトハウスに向かって高速で移動している一次レーダー信号を見つけた。
  • (4)飛行機は右旋回をしてホワイトハウスから離れていった。
  • (5)飛行機は右に270度の周回をしてペンタゴンに南東から接近した。
  • (6)飛行機はレーダーに映らない高度に降下し、衝突少し前に管制官のレーダー画面から消えた。

ロイターの図解

彼は (3)に対応するものとして次の図を示します。"Approx Position" と書かれた青い花びら形の印です。


図2. 495号線と50号線の交点のやや南で495号線を横断したことになります。左端の赤い十字の印がダレス空港。

そして、(4)の説明について、彼は、「飛行機はペンタゴンに突入するための270度の右旋回をはじめる前に、ホワイトハウスを目当てにしていたようである」と解釈しています(攻撃目標ではなく目印として)。

そして残りの(5)、(6)の説明も含めて、さらに自らの飛行経験からみて飛行機が旋回可能な回転半径を考慮して作図したのが、図3. だと説明しています。


図3. 地図右下のスケールは1マイル。ケッペル氏は旋回半径を2マイル程度と推定しています。

また最終的には直線部分が1マイルは必要としています。図2. のレーダーがとらえた地点と 図3. の間が記入されていませんが、その部分を含めて次のように説明しています。

(参考) 図2. と 図3. の間を示したのが、この図解の紫色の線です。黄色の線は後述するNTSBが公表したもの。(""OLD" 270° LOOP EXPLAINED [FINAL]"The Frustrating Fraud, July 25 2007 より)


我々だけでテロリストと話すことができれば
(ホワイトハウスを目当てにして進んで)町の北部でポトマック川に達したら、ワシントン記念塔か議事堂が見えるまで川に沿って南下する。
ワシントン記念塔上空を通過したら右旋回をしてペンタゴンに飛び込むことができたかもしれない。この時点での緩い右旋回からだとペンタゴンの、国防長官の執務室がある、ポトマック川に面した側面に突っ込んだだろう。
しかし、大型機を高速で飛ばすことに不慣れだったので、操縦士は旋回に要求される大きな旋回半径を考慮できなかったのだろう。これで、270度の回り道を説明できると思うが、衝突地点を定めるためだったのだろう。
旋回を終われば、機首をただペンタゴンの中庭に向けて降下すれば良かったはずである。経験のない操縦士は、降下するときにどうすべきか知らなかったので、機体を加速して揚力を増した。これによって機首があがり、的を外すことになる。パニックに陥って、操縦士は制御するために操縦桿を前に倒したが過大に補正しすぎたので、目撃者が言っているように飛行機はペンタゴンの少し手前の地面に接触したのだろう。

さて、彼の説明の中で重要な部分は、ポトマック川を越えたかどうかという点です。ポトマック川の東側を西北から南へ飛行したという目撃証言はありません。そして、ポトマック川を越えてワシントン記念塔を目印にするという部分は完全に彼の推測です。ちょうど、図2.と図3. のつながりの部分が推測の部分です。ゆえに、この飛行コースについて彼は、「もちろん、すべて推測であって、事実ではない」と明確に断っています。

注意すべき点は、スティーブ=ケッペル氏はアメリカン航空の77便がペンタゴンに飛び込んだことは全く認めているという点です。そして、ニュース報道なども図解の間違いや写真の向きの不適切なことは指摘していますが、基本的な部分については疑いは持っていないのです。そしてこの推定はおそらく事件直後に行われたもので、現在であれば、NTSBの公表した飛行コースの図に納得するはずと思います。

おそらくこれが、藤田氏の示した図のオリジナルだと思います。ポトマック川の東を飛行し、ペンタゴンの東側を南下したという点で、いわゆる公式見解とは大いに異なっているのです。

CBS の記事から

2001年9月21日の CBS News は次のように書いています。

衝突の8分前、東部夏時間午前9時30分、レーダーがワシントンから30マイル以内に近づく飛行機を探知した。関係者はハイジャックされたジェット機は高速で東に、市内に向かって進み続けていたと語ったが、ホワイトハウス周辺の制限空域の南、数マイルを飛んだ。
「9時33分飛行機は首都環状道路を横切ってその軍事目標を目指した。しかし、9時35分ペンタゴンに近づいたときには、ジェット機は、毎時400マイル以上で飛行しており、速すぎまた高度が高すぎた。ハイジャッカーのパイロットは難しい高速での降下をしながらの旋回を強行した。
レーダーが示す77便は下降するらせん状の旋回をほとんど完全に一回りし最後の7000フィートを2分半で降下した。」

"Primary Target, Radar Suggests Flight 77 Targeted Pentagon, Not White House",CBS News, Sept. 21, 2001

先に紹介したロイターの説明と比べると:

  • (3)ダレス管制塔の管制官が空域内を飛行場の東南東をホワイトハウスに向かって高速で移動している一次レーダー信号を見つけた。
  • (4)飛行機は右旋回をしてホワイトハウスから離れていった。
  • (5)飛行機は右に270度の周回をしてペンタゴンに南東から接近した。
  • (6)飛行機はレーダーに映らない高度に降下し、衝突少し前に管制官のレーダー画面から消えた。

「ホワイトハウス周辺の制限空域の南、数マイルを飛んだ」という部分は、(4)と少しも矛盾しないことが分ります。そして、77便はポトマック川を越えていなかったのです。ケッペル氏にはこの情報が足りなかったのです。

マスコミが報道していた、足りなかった情報

2001年10月24日の ABC News は後に77便と判明した機影をレーダーで見つけたダレス空港の管制官の話を紹介しています。それによれば、見つけた場所は、ダレス空港から12〜14マイル南東で、ホワイトハウスに向かっていました。しかしホワイトハウスに3マイルの付近で旋回をして「それて」行ったので、管制官は「レーダールーム内の人々はほとんど安堵しました。」と言ったと書いています。しかし、レーダー画面の機影は360度の旋回をしたあとレーダーから消えました。270度とか360度という数字で表現される旋回はレーダーで把握されていたのです。そして、その直後レーガン空港からペンタゴンに飛行機が墜落したという連絡がありました。77便がポトマック川を越えず、ホワイトハウスの上空も飛ばなかったことは事件直後から知られていたのです。先にふ� ��た2001年9月21日の CBS News は同じ内容を、「関係者はハイジャックされたジェット機は高速で東に、市内に向かって進み続けていたと語ったが、ホワイトハウス周辺の制限空域の南、数マイルを飛んだ」と表現していたのです。なおこの ABC News は、ペンタゴンに衝突したのは軍用機だったという根拠として歪曲して紹介されてきた記事です。( 参考: "Get These Planes on the Ground", ABCnews, 2001/10/24 = web.archive.org、ワシントン=ダレス空港の管制官の証言) そして、再度 ロイターの説明を見ると、「(3)ダレス管制塔の管制官が空域内を飛行場の東南東をホワイトハウスに向かって高速で移動している一次レーダー信号を見つけた。 (4)飛行機は右旋回をしてホワイトハウスから離れていった。」と書いています。(3)に続いて(4)が書かれているのですから、ホワイトハウス上空を飛んだとは決して書いていなかったのです。推測と念を押しているのですが、図解の解説が細切れで不確かと考えて、ケッペル氏が自分の経験と知識で(3.5)として補足してしまったのです。


私達の大恐慌

そこで、2006年に公表された、フライトデータレコーダに基づく飛行コースの図と、CBS News の説明を比べて見ましょう。

NTSB の図

次の図は、2006年8月はじめに、米国家運輸安全委員会(NTSB)が公表した資料の一つです。ややコントラストが低いのですがクリーム色の線が77便の飛行コースです。

"Government Releases Detailed Information on 9/11 Crashes", The National Security Archive, August 11, 2006 の NTSB report, "Flight Path Study-American Airlines Flight 77," Feb. 19, 2002 [Chapter 1, The 9/11 Commission Report, "We Have Some Planes." Footnote 53] (PDF)


図4. (ソース: 上記) 原図に書き込みをしています。495号線と50号線の交点のやや南で495号線を横断しているのは、ケッペル氏の 図2. と同じです。また旋回半径もほぼ同じです。ペンタゴンそばの黒い線が藤田氏の示した飛行コース。NTSBの示す周回コースでも急旋回と言われるのですから藤田氏の図のデタラメさは明白です。

「首都環状道路を横切ってその軍事目標を目指した」。図では495号線の青い丸印の部分を通過して、およそペンタゴンの方向に向かっている部分です。「ペンタゴンに近づいたときには、ジェット機は、毎時400マイル以上で飛行しており、速すぎまた高度が高すぎた」ので、右旋回に入って体勢を建て直します。コースが交差する部分です。そして旋回を続け機首がペンタゴンに向いた位置からまっすぐにペンタゴンに向かって降下していきました。

念のために、独立調査委員会報告書の説明をこの図4.で確認しましょう。

独立調査委員会報告書

独立調査員会報告書の説明の要点は以下のとおりで、図4. と全く矛盾するところはありません。

  • 9時29分、アメリカン航空77便の自動操縦装置が外された。飛行機の高度は7000フィートで、ペンタゴンの西約38マイルの位置にいた。
  • 9時32分、ダレス空港の進入管制レーダーの管制官が「プライマリーレーダーの目標物が東に向かって高速で飛行しているのを見つけた」。(※)
  • 9時34分、・・・アメリカン航空77便はペンタゴンの西南西5マイルで330度の旋回を始めた。旋回を終えると、ペンタゴンやワシントンの中心街に向かって2200フィートを降下した。
  • 9時37分46秒、アメリカン航空第77便はおよそ毎時530マイルの速度でペンタゴンに衝突した。

(※) 「プライマリーレーダーが高速で飛行する目標物をレーダー範囲の東の縁に映し出したのを見つけた」は誤訳でした。

『独立調査委員会報告書』 「1章1.4節 アメリカン航空77便のハイジャック」

(補足 2008/03/29) 『独立調査委員会報告書』が根拠としている資料はこの部分の脚注に紹介されています(脚注の53、59〜61)。そのうち、"NTSB report, "Flight Path Study-American Airlines Flight 77," Feb. 19, 2002" は2006年に一般に公表された上記で紹介した図4のソースです(The National Security Archive は脚注の53で参照されていた資料として紹介しています。)。別の "FAA report, "Summary of Air Traffic Hijack Events: September 11, 2001," Sept. 17, 2001" にも同じような図が掲載されているので紹介します。ダレス管制塔のレーダーの映像から77便の飛行コースを示したものです。

ダレス空港の一次レーダー記録 ("FAA Believed Second 9/11 Plane Heading Towards NY for Emergency Landing",The National Security Archive の FAA Summary of Air Traffic Hijack Events, September 11, 2001 [ソース AAT20 2001年9月17日](pdf 11.9MB) のp30 より)

2006年8月はじめに、米国家運輸安全委員会(NTSB)が公表したものと基本的に同じです。つまり、『独立調査委員会報告書』の記述内容がこれまでの発表や報道内容と食い違いがないのは当たり前なのです。そして、やはりこのページで触れた ABCnews, 2001/10/24 に登場するダニー=オブライエンさんが見ていたのがこのレーダー画面であって、ABCは彼女に取材したのですから、ごく事実に近い飛行コースを文章で示しただけのことでした。念を押せばダレスの管制官たちはレーダーで発見してからペンタゴンに衝突するまでのすべてを見ていたのです。それが上の図に示される77便の飛行コースです。(「P56 制限空域」と示される区域にホワイトハウスは含まれます。図は上が北ですからgoogle地図などと比較すれば良くわかります。明らかに77便が飛行した範囲はすべてがペンタゴンよりは南西と南です。ポトマック川の北側は飛んでいません。)

結論

つまり結論としては、藤田氏の示した図はいわゆる公式見解の示す飛行コースとは全く異なるものです。藤田氏は国会において、どのようなデータに基づいて作成されたかという肝心の点を全く説明していません。藤田氏の図のオリジナルについては私の推測ですが、藤田氏の示した図がNTSBのFDRに基づく飛行コースとは全く違うということは明らかです。藤田氏の示したものが公式発表に基づいたものと主張するのは虚偽です。藤田氏はあたかも米政府機関がこのように公表しているかのように説明したのですから国会の場で虚偽説明をしたことになるでしょう。なお藤田氏が提示したのと似た飛行コースは一部の陰謀説論者の間で公式見解として信じられきましたが、もとは、スティーブ=ケッペル氏が少ない資料を元に、自らのパイ� �ットとしての経験と推測を加えて仮に作成したものであって、そしてケッペル氏はその正確さの限界を知っているので事実ではなく推測にすぎないと注記しているにも関わらず、陰謀説論者が公式発表の飛行コースと勝手に解釈して弄んできたものだったのです。そして、現在では、陰謀説論者でも大方はその誤りに気付いているのです。いまどきこんなことを知らない陰謀説論者がいたとは驚きです。

補論

pilotsfor911truth.org の指摘

pilotsfor911truth.org の指摘に使われたデータ、アニメが示すところは基本的に「公式見解」と同じといえます。彼らの指摘は、ペンタゴン直近でフライト=データ=レコーダのデータどおりなら街灯は倒されていないはずだというものです。この件についてはページを改めて紹介します(2008/03/29)。→


ここで、記念日は最初に行われました

ほかに、おそらく他の飛行機の情報が混ざってしまったための誤解なのでしょうが、北から接近したという話はあったようです。参考に紹介します。こちらが藤田氏の指摘に近いかもしれませんがこれも目撃証言とは一致しませんし、根拠は示されていません。航空機事故専門のサイトですから、FBIの捜査の関係でNTSBの報告がない「事故」だったので、他の事故ほどの正確な情報は書かれてはいません。

ASN

最後に報告されたデータ(08:56)が示すところでは飛行機はフライトレベル350を458ノットで飛行していた。コースは変更されワシントンに戻り始め飛行機は市内に向かって高度を落とし、北から接近した。聞くところによればボーイング機はホワイトハウスの上空を通過し、急な270度の旋回をはじめ、合衆国国防省の建物(ペンタゴン)に向かった。それは木や街灯を引っかけた後ペンタゴンの南西の壁面に飛び込んだ。

"Hijacking description: 11 SEP 2001, 09:40 EDT, N644AA,American Airlines,Boeing 757-223", Aviatin Safety Network - Database

AirDisaster.Com

離陸から少し後。飛行機はFAAのレーダー画面から消え、航空管制の無線通信に応答するのを止めた。
飛行機は旋回をして、北からワシントンD.C.に戻った。聞くところによれば、それから降下を続けホワイトハウス上空で270度の急旋回をはじめバージニア北部の国防総省の建物(ペンタゴン)に向かって飛んだた。
目撃者によれば飛行機は高速で降下しながら木立や街灯を引っかけてからペンタゴンの建物の南西の側面に衝突した。

"Special Report: September 11, 2001 Terrorist Attacks", by Chris Kilroy, AirDisaster.Com

附録

こんなやり取りを見つけました。

(Q) 2005年以前に公表されている飛行コースの図はすべて77便はホワイトハウスの真上を飛んだように書かれているけれど、それはレーダー画面には決して写っていなかったはずだ。この情報はどこから出たのか、なぜ報道機関は訂正しなかったのか、そして当時だれが提供したのでしょうか。
(A) ホワイトハウス上空から270度の旋回をしたという話はときどき今でものせているサイトがあるけれど、2002年2月(NTSBの飛行コースの研究の日付)とさらに2004年7月(9/11委員会報告の日付)から分っているけれど、公的機関の報告が言っているのは、それは西からやってきて330度の旋回をした・・・
(A) いまだに故意に270度の旋回の間違った情報を主張しているサイト(※注)のいくつかによれば、270度の旋回の図解の元の作成者は元空軍パイロットのカリフォルニア州パームスプリングスのスティーブ=ケッペル氏だそうです。

※注: www.pentagonresearch.com についてのこの評価、現在のところ必ずしも適切とはいえないかも知れません。まあ、前非を悔いて反省中といったところではないでしょうか

=============(原文)==================

johndoeX Posted: Mar 21 2007, 08:47 PM

QUOTE (pinnacle @ Mar 21 2007, 06:41 PM)

Also the many diagrams of the flight path released before 2005 all showed Flight 77 passing right over the White House which the radar shows never happened. Where did those all come from and why were they never corrected by any news organizations who presented them as factual at the time?

Some sites also still post the 270 degree maneuver coming from over the White House when it has been known since Feb 2002 (date of NTSB Flight Path Study) and further July 2004 (date of 9/11 Commission Report) that the official report states it came from the west and made a 330 degree maneuver...

According to some of these sites who still knowingly promote this 270 degree misinformation, the author of the original 270 picture was from Former Air Force Pilot Steve Koeppel, Palm Springs, CA.

(Posted Image)

Flight Path Study Reported path...

(Posted Image)

ソース: "Posted: Mar 21 2007, 08:47 PM",Pilots For Truth -> Misc -> Debate -> Aa77 Impact Speed = google cache [2008年2月21日 06:40:35 GMT]

で、現在、ケッペル氏の原文を掲載しているのは、おそらく『パワーアワー』のサイトだけです。しかし、よく読めば、ケッペル氏は、きちんと、根拠や推定部分も明らかにした上で、推定として述べただけだと念を押していたのです。『パワーアワー』のヴォンクライスト氏が彼のビデオでやったような姑息な引用をしていなかったことは幸いでした。

バルセロナ爺様、少しは基本的な情報の更新をしたらいかがですか?

(2008/03/02)

補足1

青木冨貴子 『FBIはなぜテロリストに敗北したのか』新潮社、2002年8月、p19 に4機の飛行コースを描いた図があります。「『ニューヨーク=タイムズ』'01年10月16日付けを参考に制作」と説明がありますが、左下の77便の飛行コースの最後の部分は、2006年8月米国家運輸安全委員会(NTSB)が公表した図(図4)とほぼ同じに描かれています。つまり、目撃者や関係者への取材をもとにマスコミは2001年10月ころにはかなり正確な飛行コースを報道していたのでした。民主党の藤田幸久参議院議員の情報源はほとんどあてにならない情報ばかりを選択したものであった可能性が高いといわざるをえません。当然ながら、9.11事件の研究者を自認する童子丸開氏の事件に関する知識の狭さも示しています。

(2008/03/20)


(2008/03/29 一部字句訂正。1項目削除。)


補足2

藤田氏が国会で提示したのと同じような図解を見つけたので紹介します。


Youtube より

ヒロさん日記/ ■アクロバット飛行がお得意な、ペンタゴン突入のAA77便 (2006/7/31)

2006年4月21日にYoutubeに掲載された、9/11 Pentagon information というビデオクリップを参照したと思われます。このYoutube のビデオの少し先には77便の飛行コースの全体を「公式見解に基づいて」書いたと思わせる地図がでてきます。


Youtube より

次が、NTSB が公表している77便の飛行コースの全体です。最後の旋回がヴァージニア州内で行われている点に注意(図4も参照のこと)。Youtube の図では、ワシントンD.C.側を飛行したことになります。


NTSB Flight Path Study American Airlines Flight 77 より


ある程度の高度を維持したまま接近して標的が見えたら標的より手前で旋回しながら高度を下げて最終的な直線コースに入るというのが操縦の初心者の常識的な考え方と言えます。テロリストが選んだコースはそうであったし、「公式発表」もそのとおりでした。Youtube の図は全く違っています。2004年7月の9.11委員会報告書の第1章の脚注44が参照していた、4機の飛行経路などを示した " FAA report, Summary of Air Traffic Hijack Events: September 11, 2001, Sept. 17, 2001 " という文書は、2005年9月9日にネット上で公表されていました。2001年の事件直後の報道でさえ注意深く読めばペンタゴンの北や東側を迂回したコースなど思いもよらないはずです。2006年7月の時点で、「公式見解」がこのような経路で77便が突入したと言っているという説明自体に疑問をもてなかったこのブログ主の感覚を疑います。このようなデタラメな資料をもとに何を書こうがゴミです。

(2008/04/20)

補足3

どういうつもりで、2007年の12月にこんな記事を書いたのか不思議ですが、童子丸さんとほとんど同じ認識の方がいます。これまで説明したとおり77便はペンタゴンの上空を飛び越してはいません。

ペンタゴンに突入したアメリカン航空77便はロスアンジェルス行きだったので、ワシントン郊外のダラス空港(※)を離陸してから、西に向かって真っ直ぐ飛行していたのですが、不思議な事に中西部上空で信号が途絶えると共に、レーダーから忽然と姿が消えてしまったのです。
それが約20分後に再びレーダー上に現れたのですが、その時すでにワシントン近郊の上空にいたのです。
姿が消えた地点から再び現れた地点まで、20分で飛行するのは民間のジェット機では不可能な距離なのです。
突然現れた77便は、ワシントンに近づくにつれてどんどん高度を下げ始め、ペンタゴン上空に到達してそのままペンタゴンに突っ込むかと思いきや、一旦建物の上空を通り過ぎてから大きく右に旋回して、機首を再びペンタゴンの方に向けると低い高度を保ちながらどんどんスピードを増して、建物の周囲の駐車場にある街路灯を根こそぎ倒しながら、時速848kmの高速で5階建ての建物の一階に衝突した、というのがFBIが発表した事件のあらましなのです。
近くのワシントン-ダラス国際空港の管制塔のレーダーでこの飛行振りを見ていた管制官達は、・・・
飛行機が高度を下げてきた時にそのまま真っ直ぐ突っ込んでいたら、ラムズフェルド国防長官の執務室のある箇所に衝突していて、死者は5千人位になっただろうと言われています。

現代版NY徒然草/ 同時テロ7年目の真実--ペンタゴン (2007年12月11日)

77便は西に向かって飛び立ってから途中で反転して離陸したダレス空港よりさらに東にやってきました。「ワシントンに近づくにつれてどんどん高度を下げ始め」とか「高度を下げてきた時に」と説明される時は77便は西から東に向かっていたはずです。ラムズフェルドの執務室は建物の北北東側にありました。「そのまま真っ直ぐ突っ込んでい」たとしても、ラムズフェルドの執務室の反対側のはずです。自ら書いていることの矛盾に気付いていないようです。

(2008/04/20)

※ 引用者注: テキサス州のダラス空港(Dallas Fort Worth International Airport)と区別するため、私はワシントン・ダレス国際空港(Washington Dulles International Airport)を「ダレス」と書いています。ネットで調べると陰謀説論愛好家を含む英語に堪能な方たちは、発音は「ダラス」のほうが近いといっているようです。しかし、ANA(全日空)、JAL(日本航空)、国土交通省などの航空運輸関係のページ、JTB 、「地球の歩き方」ほかの旅行業のページでは「ダレス」空港が一般的のようです。説明を円滑にするには慣用を尊重することは無駄ではないと思います。英語として正しい正しくないの問題じゃなく、日本人としての単なる実用的判断です。

(2009/04/19)

補足4

77便の飛行コースについての誤認の例。2007年11月23日の掲載です。

(5)進入経路と激突箇所が不自然
激突した飛行物体は、東側から飛来した。そのままペンタゴンの建物にぶつかったのではない。まっすぐ進入していれば、ラムズフェルド国防長官の執務室のある場所の近くに、突っ込んだだろう。ところが、飛行物体は、そこを避けるように、急旋回して反対側に回り込んでから、建物に突っ込んでいる。
激突した箇所は、建物のうち、事件の前にそこだけミサイル攻撃にも耐えられるような補強工事がされていた場所だった。・・・

細川一彦のオピニオン・サイト/ 9・11〜欺かれた世界、日本の活路

(2008/04/20)

補足5

「ペンタゴン」が言ってもいないことを言ったと言っています。

ペンタゴンの一階部分にボーイング757が突っ込むのには、どれくらいから低空飛行すれば可能なのか?ということと西側に直接突っ込むのにはアーリントン墓地の高台があり、不可能、だから東側から回り込んで西側へ突っ込んだ、ということをペンタゴンは言ったわけですよ。

「9.11ハイジャックの不思議」(ぼたんの花 2007/08/30)

当時の報道では、目撃者の多くは、飛行機は西側の海軍別館の上空あるいはコロンビア=パイクに沿ってやってきたと語っていました。「東側から回り込んで」などという証言はありません。


ダレス空港を発って西に向かっていた77便はオハイオ、ケンタッキー、ウエストバージニアの3つの州境付近で反転すると東進しました。ペンタゴンへは西から近づきました。反転後2段階に高度を落とし7000フィートほどの高さでペンタゴンを発見すると(ワシントンモニュメントが目印になります)ペンタゴンの約5〜6マイル手前から、半径2〜3マイルほどの右旋回をしながら高度を下げます。右旋回をしながら最終的な直線コースを定めたわけです(ここでもワシントンモニュメントが目印になります)。初心者が考え付きそうな目標の狙い方です(2段階に慎重に目標を狙っています)。この飛行コースは、ペンタゴンが言ったものではなく、NTSBがフライト=データ=レコーダから分析したものです。200 6年8月に公表されていました。このエントリーは2007年8月30日に掲載されたものです。このブログ主は自分で基本的な情報、「公式見解」はどう説明しているかを全く確かめていないのです。陰謀説業者の生産するいわゆる「公式見解」を鵜呑みにしているのです。

なるほど、童子丸さんの言ったことは間違いとばかりは言えないようです。陰謀説論者の間では、藤田さんの言ったような「東から回り込んで西側に突っ込んだ」という説明こそが「公式見解だ」という信仰があるようです。もちろんデタラメな認識です。

(2008/04/27)


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