社団法人日本ナショナル・トラスト協会発行
ナショナル・トラストのはなし
誰にでも、忘れられない風景というのがあります。
旅先で出会った大自然や感動した美しい風景、歴史を感じさせてくれる建物や町並み。そして、あなたの育った家の近くの森や、故郷の田園風景など。
そんな大切な、思い出のある場所を残したい、自然を守りたい、そう思ったことはありませんか?
それが失われそうになったとき、あなたならどうするのでしょう。行政に相談したり、同じ考えをもった人で集まってみたり。また、行動に出るのは難しくても、心の中で守られることを望んでいる人は多いはずです。
しかし、自然や歴史的環境を守るのにはお金がかかります。日本の土地は限られていて、そこをただ残しておくには、法律の問題や経済的な負担が大きいのです。
それでは、みどりや歴史を 守るためにはどうすればいいのでしょうか。「誰かが身銭を切らなくてはならない、それならば市民みんなで、少しずつでよいから負担しよう」。こういった考えを実践しているのが「ナショナル・トラスト運動」とよばれるものです。
自然や歴史的環境を守るために、あなたもナショナル・トラスト運動に参加してみませんか?
1.守りたいものありますか、あなたも?
あなたの心の中にある風景はなんですか?アメンボやアカトンボのいる、なつかしさの漂うあの田んぼでしょうか。昔は私たちの暮らしを支えていた、あの雑木林でしょうか。市街地の近くに残る、あの湿地、それともあの川の流れ?
「守りたい」という気持ちをもった人たちが、守り方を考え、その自然や歴史的環境のお世話をするのがナショナル・トラスト運動です。その守りたいもの、守りたい気持ちというのは、決して特別なものではありません。むしろ、とても身近かな存在であることが多いのです。
たとえば埼玉で活動している「おおたかの森トラスト」リーダーの足立圭子さんは、「オオタカを守ることは、フクロウやキツネも生きていける豊かな自然を守り育てること」といいます。本当の目由はオオタカ という限られた種を守ることではなく、オオタカを含む生態系すべてのバランスを取り戻すこと。絶滅の危機に瀬するオオタカは、里地における、自然の豊かさのひとつのバロメーターなのです。
鎮守の森や古い町並みのように、私たちの周りには、貴重な自然や歴史がいっぱいです。あなたには、守りたい場所はありますか?その存在に気づいたら、守る手だてを探してみませんか?
2.守るって、どういうことだろう?
「ずっと残ればいいのになあ」となんとなく思っているうちに、いつの間にか家が建ってしまった近所の林を見て、ため息をつくことはありませんか?失ってからではもう遅い。その前に私たちができることとはどんなことでしょうか。
土地や建物には、かならず所有者がいます。所有者が守りたいという意思を持てば、守ることは可能です。このことはナショナル・トラスト運動が「所有や契約による保全」という方法をとっている理由です。逆に、所有者が特に保全を考えていない場合、所有者の理解を得ることなくしては、その土地の環境を守ることは難しいといえます。
理解を得たとしても、日本では地価や相続税も高くこ持ち主にしてみれば土地を利用できないことが死活問題のこともあります。だからこそ、守 るというのはとても大変なことだともいえます。
そんな状況の中で、守るためには、どうすればよいのでしょうか。
行政に相談してみるのもよいでしょう。神奈川や埼玉のように行政が主体となって設立されたトラスト基金を利用するのもひとつの方法です。これらの基金では申し入れのあった緑地等の買い取り、借り上げを行ったり、また市町村の買い入れへの助成を行っています。
神祭川にある「小網代(こあじろ)の森を守る会」では、この基金をうまく活用した運動を進めています。会は県のつくったトラスト組織への参加を積極的に呼びかけ、その保全対象地のひとつとして小網代の買い取りを促します。財源の大きい県による買い上げの方が、一団体によるトラスト活動より永続性や保全面積の面で有利な保� ��を行えるという考えからです。
行政の買い取りが無理な場合には、任意団体をつくって所有者の理解を得、その土地を借りたり、保全のための契約(保全協定と呼ばれる)をする方法があります。また形式的な契約を交さなくても、対象地への立ち入りを許可してもらったりするケースも見られます。所有者や地域の人々の協力が必要です。
借りたり、保全契約が無理な場合、いよいよその資産を買い上げることが最後の手段といえるでしょう。基金をつくり、募金を呼びかけている団体は数多くあります。ただ、土地を買うための寄付金を募るのは至難の業。よほどの覚悟と息の長い運動が必要です。
いずれにしても、守るためには努力が必要です。ただ開発反対を唱えるだけでなく、大切さを理解し、協力すること� �そして守るだけでなく、人々に広く公開し活用すること。そうすれば、さらに多くの人々がその場所の価値や大切さに気付き、未来の子どもたちのために行動していくでしょう。
3.百年前に、あなたと同じキモチの人がいた!
●いつの時代もトラストの心
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身近かな自然や歴史的環境を守ろうという気持ちはもうずっと以前から人々の心にありました。ナショナル・トラストの精神は、故郷を思う多くの人々の中に昔も今も息づいているものなのです。
たとえば現存、国立公園にもなっている日光では明治新政府による仏閣の没収処分につぐ神仏分離令で荒廃した伝統的な建造物群に対し、これらの回復を願う動きが地元を中心に起こります。明治12年、建造物はもちろん、日光全域の美観の保護のための官許を得た民間の組織「保晃会(ほしょうかい)」が誕生。その後37年間にわたり、募金や建造物の修復活動は続けられ、地元のために重要な役割を担いました。(「日光観光物語」永嶋正信著、東京農業大学� ��版会、1992)
また、伊勢神宮にもナショナル・トラストのドラマがありました。明治19年、明治新政府の急激な改革に抗議した住民による伊勢暴動などで荒廃した外宮や内宮の神域を中心とした都市景観整備を目的に、地元市民は立ち上がり「神苑会」を創立します。会は両宮の神苑の整備、宝物の陳列、神都の整備という大計画をたて、これを全国的な募金運動に展開していきました。その資金により神宮整備のための土地を買い上げ、背後の山林ごとの保全に成功したのです。(神宮整備のために展開された明治の募金活動」杉浦邦彦、ナショナル・トラストジャーナル12,1998)
明治45年になって、新聞紙上で保全を呼びかけたのは「十和田保勝論」。なんと当時の青森県知事・武田千代三郎自らが筆をとり、「十和田の美� �自然のままなるに在り、一木加うべからず、一木除くべからず、一石動かすべからず、一石添うべからぎる所に存り、ただその存りのままを維持しで…(後略)」と、十和田の保護を訴えました。この年6月には県下から賛同者を募り、十和田保勝会を設立。俗化、破壊された多くの名勝と同じ運命をたどるべきではないという警告は、現在の国立公園指定へとつながります。(「東奥日報」1996年10月13日記事)
そして、いよいよ戦後では、「財団法人鎌倉風致保存会」(昭和39年設立)による鶴岡八幡宮の裏山、御谷(おやつ)の買い取り運動が有名です。作家の大仏(おさらぎ)次郎らは、市民から1500万円の募金を集め、宅地開発計画地の一部1.5ヘクタールを買い取って開発を中止させ、これが日本のナショナル・トラストの先駆� ��といわれています。会の設立の2年後、昭和41年には、運動をきっかけに古都保存法が制定されます。百年前に同じ思いをもつ人々が行動を起こしたという事実は、私たちを大いに力づけてくれます。
4.イギリスのナショナル・トラスト運動
●ナショナル・トラストってなんですか
"ナショナル・トラスト"という言葉を聞くと、「ほら、あのピ一夕ーラビットのベアトリクス・ポツターでしょ」と、なんとなくイギリスの湖水地方を思い出す方も多いことでしょう。
イギリスのナショナル・トラストは正式には"The National Trust for Places of Historic Interest or National Beauty"(「歴史的名勝および自然的景勝地のためのナショナル・トラスト」)といいます。対象は自然だけでもなく、歴史的建造物だけでもない、次世代に残すための環境を総合的に保存し、公開することを原則とした市民運動です。
イギリスの「ザ・ナショナル・トラスト」という組織は、会社法にもとづく非営利法人として、1895年に設立されます。その母体は、産業革命後急速に成長した産業資本の開発対象とされた、共有地(コモンズ)の保存運動でした。今では、ナショナル・トラストは会員数256万人、年間の予算規模は1億7000ポンド(約370億円)にものぼる大組織です。保有する環境資産は、565マイルにおよぶ海岸線、田園地帯、庭園や城、歴史的建造物など、その広さは英国全土27万ヘクタール(別組織をもつスコットラ� �ドを除く)にも及びます(1996−97年現在)。設立以来、政府からの財政的な援助は一切受けず、独立した機関として発展を続けています。
●すべては市民から始まった
現在これだけの規模にまで成長を遂げたイギリスのナショナル・トラストですが、始まりはなんと3人の市民からでした。共有地保存協会設立されたり、古記念物保護法が制定されながらも所有権という権利には勝てず、保存運動にも限界がでてきた頃でした。
弁護士サー・ロバート・ハンターは、協会に土地を獲得する力がないことが問題だとして、国民の利益のために土地と建物を買い取り、所有する組織が必要だと考えます。こうして「国民のための土地所有団体としてナショナル・トラストはスタートします。その後社会事業家で婦人運動家のオクタビア・ヒル女史と牧師のハードウィック・ローンスリー氏はこれに賛同し、ナショナル・トラスト運動の実現に向けて協力を始めていきます。
「ナショナル」は「国� �」ではなく、「国民の」という意味です。市民自らの力で、自然や歴史的環境を守る行動を起こすものです。募金による買い取りや所有者の寄贈などで資産を得て、ナショナル・トラスト組織へ信託(トラスト)するのです。
イギリスのナショナル・トラストは徐々に活動を拡大し、その実績を背景に1907年ナショナル・トラスト法(National Trust Act)が制定されます。この中で、保存の対象となる資産を「譲渡不能(Inalienable)」と宣言する権利を認められます。つまりナショナル・トラストは、この宣言を受けた資産について売却などの譲渡や抵当の対象ともなり得ないという権利を唯一得ることになったのです。
そしてこの譲渡不能の原則は、額の大小にかかわらずナショナル・トラストヘ寄付すれば確実に環境保全に役立つのだという大きな安心感と信用を、資産の寄贈者をはじめ、すべての貢献者に対して与えているのです。
さらにその後の法令改正により、ナショナル・トラストヘの資産譲渡は非課税とされることになりました。相続税が重いイギリスにおいて、遺贈に際しこれを免除し、しかも子孫がテナントとして代々そこに住み続けられる特権を設けたの� ��意義深いことです。現在でもトラストの多くの歴史的建造物には、遺贈者の子孫が住み続け、ガイドなどを行っています。
こうしてイギリスのナショナル・トラストには環境遺産を保全し続けるための基盤が整備されました。これらの体系はイギリス以外の国々にも影響を及ぼし、日本にも、またほかの世界中の国々にも、自然や歴史的環境を守ろうという人々によるナショナル・トラスト運動は展開されていくのです。
5.日本にもあります
●世論のちから 〜『鎌倉市民』の日々〜
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「この困難を乗り越えて守るただひとつの方法はあなたがた市民運動の起こす世論の力である。」
これは鎌倉でナショナル・トラスト運動を行ってきた人々が長い間待ち続けてきた一言でした。
鎌倉八幡宮裏山に宅地造成が計画され、市民により反対運動が起こったのが昭和39年1月。運動開始からちょうど一年の月日が流れ、ようやく当時の神祭川県知事・故内山岩太邸氏は公式視察の後、上のように言いました。
つまり市民の力により世論は動き、さらには行政をも動かす可能性があることを知事自らが認めたのです。『月刊鎌倉市民』という雑誌を発刊し、鎌倉市民の心に潜む良識と善意に準え続けた原実氏は、著書『歴史的風土の保存(アカンサス建築叢書)』の中で、「それ(その発言)がなければ私たちの� ��民運動は、このまま挫折したかもしれないとさえ思う」と当時を回想しています。
古都・鎌倉のチャームポイントは、「複雑な鎌倉特有の地形が醸しだす豊かな自然環境の住宅地」。市街地中心の大通りの商店街から一歩入れば、そこにはまた昔ながらの静けさを保つ住宅地があります。
「鎌倉の自然を守る会」は昭和37年10月に発足しました。そしてこの市民運動は、単なる反対運動には終わりませんでした。鎌倉を愛する人々は、この運動を通して自然と人間の関わり合いの大切さを学びます。その心は京都、奈良も視野に入れた古都すべてに広がり、古都保存法制定のきっかけにもなります。
●天神崎の自然を大切にする会
和歌山・天神崎においても昭和49年、美しく身近な海岸の自然を高級別荘地の開発から守ろうと、「天神崎の自然を大切にする会」ができます。
ここは「田辺南部(みなべ)海岸県立自然公園」の一部です。日和山(ひよりやま)を北端に20ヘクタ}ルの丘陵地(ここでの土地種別は第3種特別地域)と海に向かって広がる平らな13ヘクタールの岩礁(第2種特別地域)からなる岬です。第3種特別地域というのは、鎌倉の「風致地区」同様、規制力には限りがありました。「この解決には市民自らの力で買い取る以外には方法はない」という行政側の姿勢に、保全のための陳情をしていた人々は不安にかられることとなります。
しかしそんな状況の中でも、天神崎の人々は自然保護運動を進めます。土地所有者に負担を強いるの ではなく、市民も少しずつ犠牲を分かち合い、適当な代価を払うならば、持ち主も協力者になってくれると信じたのです。こうして血のにじむような募金活動を重ねながら、天神崎の自然を大切にする会は、開発予定地の用地取得を果たし、天神崎を守るにいたったのです。
「天神崎には、森の中にも混地にも、広い磯にも海の中にも、いろいろな生物が、楽しそうに生活しています。丘の別荘地造成計画地を市民の手に確保した目的は、ここに生きているたくさんの生命を護るばかりでなく、私たちも生物の一員としてともに生きる人間になりたいと願うからです」(同会パンフレットより)。天神崎では、今日も子供たちの声がひびいています。(※詳細は同会出版の『天神崎の自然を大切にする運動二十周年通史』参照。当時� �苦労の数々が心を打ちます。)
日本には現在、鎌倉や天神崎のほかにも北海道・知床半島など、50を超えるナショナル・トラスト団体があるといわれ、その輪は着実に広がっています。
※日本のナショナル・トラスト運動の概要については、『平成9年度ナショナル・トラスト運動に関する調査報告書』社団法人日本ナショナル・トラスト協会(1998)参照。
6.小原家の、はじめの一歩
ここであるひとつのお話、始まったばかりのナショナル・トラストを、ちょっとのぞいてみましょう。
長野県・上伊那郡箕輪町沢にひっそりと建つ木造家屋「箕沢屋(みさわや)」。大きな屋敷林の中にあるのは、1000坪余りの敷地に、切り妻造りの母屋を囲んで前蔵、本蔵、文庫蔵、味噌蔵など6棟の蔵。さらには水車小屋とビ一ル醸造所の跡などもあって幕末の大地主の屋敷構えがそのままに残っています。
実はここ小原家(おばらけ)は、1861(文久元)年、江戸末期に再建された豪農の屋敷です。屋号は箕沢屋、庄屋をつとめた北の門屋と南の箕沢屋の二大地主のひとつでした。戦後になり、農地改革で多くの小作地は解放されましたが、小原家の広大な敷地はなんとか維持されました。現在の当主から数えて先々代の 小原儀十郎さんが、戦前にここでビール醸造業を営み、昭和24年に亡くなったあと、妻・ちか江さんが家を守ります。ちか江さんは昭和52年、病気で横浜に転居。小原家は無人の屋敷になってしまいます。使われなくなった家屋は荒れ、周囲は草ぼうぼうで、まるでおばけ屋敷のようだったといいます。しかし、住人のないことがかえって幕末以来のたたずまいをそのまま残すことにもなったのです。
その後平成2年になって、小原家当主の昭二さん(神奈川県逗子市在住)は、この歴史的にも貴重な建物を何とか守れないものかと考えます。維持管理に苦慮する小原さんが思いついたのが箕輪町への家屋の寄贈。町からの公的な緩助を得て復活させようとしますが、町では予算的な問題もあり、受けとりを断念し記録保存にとどめまし た。
次に小原さんは平成6年の春、(社)日本ナショナル.トラスト協会へ相談に訪れます。協会では調査を兼ね、何度かの屋敷の大掃除の後、泊まり込みの合宿勉強会も開きました。その結果、当面、所有者である小原さんと地元、協会を交えた保存委員会をつくり、今後の望ましい活用策の検討に入ることになはした。
こうして箕輪町郷土博物館舘長の柴登己夫さんらを中心に平成9年4月28日、地元の有志15家族を中心とした「信州箕沢屋の会」がつくられ、実質的な活動が始められるのです。
●箕沢家がよみがえった!
花が咲いて7月のものです。
「小原家は当時の農民の生活を知るために、生きた教材である。修復を急ぎ、忘れかけたり、なくなってしまった農村の行事を再現していきたい」とは、会の立ち上げのころから保存にかかわっている桑沢さんの言葉です。
会の活動内容は畳上げ、風通し、草取り、屋内の掃除、蔵の整理、障子の張り替えなどの、建物と周囲の環境の改善。そして古田人形芝居、展示会、伝統料理の伝承会、ワラ・竹細工教室等のイベント開催、研修視察や学校教員・児童らの視察見学の対応など、実に盛りだくさん。中でも会員の手により、蔵に残されている資料を整理し、屋内を生きた博物館に変身させた平成10年12月のイベントは大盛況でした。
「箕沢屋が公開され、大勢の方が鑑賞し、箕輪文化の一端を知っていただけて嬉しい」� �、会員も参加者も活動を重ねるごとに楽しみが増している様子。地域の文化に魅せられて、地元民は巻き込まれていきます。保存への意欲はいつしか責任感に。会員の営みと努力はエネルギーとなり、箕沢屋を生き返らせたのです。
信州箕沢屋の会の皆さんは、囲炉裏文化について書いています。「昔は身近な生活の一部であった囲炉裏。囲炉裏の火の暖かさと人の心に通い合う温もりは、囲炉裏と暮らしとの密接さの中から生まれたものです」。
日本では戦後になって、民家が建造物文化財の仲間入りをしました。地域にとって貴重な地方文化財は、たとえ個人の財産であっても守っていく方法をみんなで考えたいものです。市民参加による維持管理や修復の方法など、アイデアを出し合ってみませんか。
<参考資料>:『小原家住宅建築史資料調査帝告書』(平成6年3月、箕輪町教育委員会)、『小原家物語』石川忠臣(平成6年9月、ナショナル・トラストジャーナル」4号)、『信州箕沢屋の会活動報告書』(平成9年12月〜平成10年12月)」。問い合わせは、事務局柴登巳夫さん・電話0265−79−4860まで。
7.環境を守り、育てるのは市民!
ナショナル・トラスト運動は、小原家だけのものではありません。各地のナショナル・トラスト団体が運動を始めるきっかけをみてみると、宅地、工場、ゴルフ場や産廃処理場建設などにより、守りたいものが壊されるいわば危機的な状況によるものが多いといえます。
イギリスでは産業革命がナショナル・トラスト運動のきっかけになりました。日本でも1960年代の高度経済成長期の開発ブームを背景に、ナショナル・トラスト運動が活発になります。全国の住民・市民団体や自治体が、歴史的町並みの保全に力を入れ始め、1974年に「全国町並み保存連盟」を結成。つづいて1975年には、文化庁は文化財保護法(1950年)を改正し、「伝統的建造物群保存地区制度」で町並みを法律で守ることにしました。
全匡町並み保存� �盟の創立にたずさわった同連盟顧問の石川忠臣さんは、「町並み運動とは文化運動である」といいます。町並みは、住民と自治体自らが地域の価値に気付き、残していく歴史的環境。地域のことを一番よく知っているのは私たち自身のはずです。私たちの手で環境を守り、つくっていきましょう。
"あなたの小原家"はありますか。そして今度は、"あなたの小原家づくり"をしてみませんか。
●NPOとナショナル・トラスト
「NPO法人になるにはどうすればいいのですか」という相談を受けることがあります。98年に施行したNPO法(特定非営利活動促進法)では、これまで契約はすべて個人名義だった任意団体も、団体名義でスタッフを雇ったり、事務所を借りたりできるようになりました。
ナショナル・トラスト団体のいくつかも、「赤目の里山を育てる会」や「阿漕浦友の会」、「蔵王のブナと水を守る会」などがNPO法人化しました。任意団体が法人化していくことによって、NPO全体の社会的認知度が高まっていくのではないかともいわれています。
NPOとは、non-profit organizationのことで、非営利団体と訳されます。「国や県が面倒をみて、人々はその恩恵を享受する」というこれまでの固定観念はもう古い。
自分たちが必要とするものは自分たちで手に入れよう!そのパワーが、NPOの源。必要ならば法律や条例もつくってしまおう!そうしてできたのが議員立法で制定したNPO法なのです。アメリカには「NPOが社会のよいモデルとなり、次代のリーダーを育て、社会を変革する」ということが社会的にも期待されています。
市民活動とは、個人の思いや夢を社会的な力に変えていくもの。持続性・社会性・専門性・自主性・多様性をもって、環境を保全するナショナル・トラストは、まさに市民運動そのものです。
NPOを支える大事な原動力となっているのがボランティアです。ナショナル・ト� ��ストに参加するボランティアの動機は様々。自分にとって愛着のある地域を守りたい人や、環境問題への危機感から次世代の子供たちのためにできることをしたいという人、仕事以外の生きがいを探す人や、専門を生かす場を探している人などです。楽しみながら参加して、成果につながる。素敵なことだと思いませんか。
8.こんなことに苦労しています
●高い地価と細切れの土地
「最近びっくりするような値段で土地を買いにくる業者がいる。自分は売る気はないが、子供の代になったらどうなるかわからない」という声をきくことがあります。周囲の開発が進むごとに、地価はさらに高騰し、相続税ものしかかります。市民から広く寄付を募り、買い取りなどで自然や歴史的環境を残していくナショナル・トラスト運動で、高い地価や税金問題は、立ちはだかる大きな弊害のひとつです。
また、日本の土地は高いだけでなく、所有形態が細切れであるといわれます。複雑な土地所有形態は、歴史的な経緯によるもの。現在トラスト運動が行われている静岡県の柿田川では、江戸時代から河川敷に生えていた水草を肥料として使っており、土地を所有していないと肥料が使えないことから、多くの土地が細� �れに人々の手にわたるようになりました。江戸から42番目の宿場として整備された長野県の妻籠宿(つまごじゅく)でも、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定(昭和51年)されていますが、街道に連なる家屋、農地、田んぼや畑は個人のものです。一級河川の河川敷であっても、伝統的な建造物群の保存地区の近くであっても、細切れの民有地を買い取り、守っていくのは容易なことではありません。
●募金に夢を託してみませんか?
ナショナル・トラスト運動は、トラスト地の保全に夢を託す人々の、寄金によって支えられています。
なかでも北海道・斜里町の「しれとこ100平方メートル運動」は、知床国立公園内の開拓離農地を買い戻し、原生自然に復元する運動として有名。昭和52年に「斜里町」自らがナショナル・トラスト運動を開始して以来、太古の森と野生の躍動をよみがえらせようと、知床の峰々の麓に思いを馳せる日本中の人々が、募金を通じて小さな町の自然保護に貢献しました。
※平成9年には、4万9千人の協力を得て、20年かけて目標を達成。今では自然生態系の再生事業を次のステップとして、新運動「100平方メートル運動の森・トラスト」が始動しています。
東京都と埼玉県にまたがる狭山丘陵には、子供たちの夢がつまったナショナル・トラストが発足しています。ここは雑木林、茶畑、各戸田が広がる里山。宮崎駿監督のアニメ映画『となりのトトロ』の舞台にもなったところです。
80年代に始まった市民運動のネットワークが「(財)トトロのふるさと財団」として98年に財団化。残土捨て場や資材置き場などに転換するための森林伐採から里山を保全するため、土地を取得しています。基金への寄付者1万4,000人のうち、4割は高校生以下。トトロの名がいかに多くの子供たちの共感を呼んでいるかがうかがえます。
森の精トトロは、次世代への橋渡しのシンボル。里山とのふれあい体験が、子供たちの環境教育になっています。
9.トラスト運動に参加してよかった
ナショナル・トラストは、多くの人々に支えられてはじめて、ナショナル(国民の)トラスト運動と呼ぶことができます。日本中にこれだけナショナル・トラスト運動が普及してきたのは、寄付をする人はもちろん、地域の人々に信頼され、中心になって献身的に進めてきた人々がいるからです。
ボランティア(volunteer)という言葉は、語源的にはなんと"volcano=火山"と親戚。"vol"の語源には「噴き出す」「飛び出す」の意味があり、"volunteな人"とは「火山のように内側から吹き出てくるエネルギーにもとづいて行動する人」ということになるそうです。ボランティアというと、自分を犠牲にするような暗いイメージを抱く人も多いかもしれませんが、本来は、まるで火山が噴火するように「自分は放っておけない」とい う気持ちに押されて行動することなのですね。
富士山の頂き水を守る「柿田川みどりのトラスト」のリーダー・漆佃信昭さんも、「自分は放っておけない」とナショナル・トラストを始めた一人。日本のトラスト運動の名物的存在でもある漆畑さんは、「ナショナル・トラスト運動なんてつらいことばっかりだよ」といいます。それでも、小さい子供がなけなしのおこずかいの中から募金してくれたり、
身体に障害を持つ方が少しでも自然保護に役立ててほしいとクラスで寄付を集め送ってくれたりするのを見ると、「ナショナル・トラスト運動をやっていてよかった」と思えるのだそうです。
※ボランティアについては、『NPO基綻講座』(ぎょうせい)の第2章「NPOとボランテげ」(祉福)大阪ボランティア協会理事・事務局長 早潜昇より引用
●環境教育のフィールドを残すために
環境教育の拠点を残していくことも、ナショナル・トラスト運動の目的のひとつ。
神奈川県三浦市にある「小網代(こあじろ)の森」では、自然と歴史的環境を保全し、環境教育のフィールドとして活用するという、幅の広いナショナル・トラスト活動が行われています。
ここは、台地に刻まれた浦の川流域に位置する雑木林で覆われた右。首都圏にもかかわらず源流から河口の干潟まで周辺の森も含めたひとつの川の集水域が、全く分断されずに残るとても貴重な森です。
自然の宝庫と言われる小網代の谷で特にシンボルとされているのがアカテガニ。アカテガニたちは真夏の大潮の晩、岸辺を目指し日没後の満潮に合わせて幼生たちを海に放します。森と干潟と海が連接した小網代の森で繰り広げられるアカテガ� ��の放仔(ほうし)のドラマは、人々を惹き付けて止みません。
「小網代の森を守る会」は、ごみ拾いなどのボランティア活動で各の保全を目指す地元の会です。マナーの悪い人からアカテガニを守るための"カニパトロール"(略して「カニパト」)は有名。幼少時代を海で過ごし、森で昆虫やミミズをかじって暮らすアカテガニを守ることは、この地域全体を守ることにつながります。
小網代の森を守る会では、隔月『小網代つうしん』を発行しています。この森に魅せられた人たちが手作りの会報誌で小網代の四季や生き物、森で感じたことをしたためています。
小網代の森は私有地なので、歩きたいときは会主催の自然観察会に参加するのがよいでしょう。森の中では川沿いの踏み跡道を移動して、植物の上を歩� �ないように注意して。湿地や泥地が多いので長靴は必需品ですよ。
<参考資料>:「いるか丘陵の自然観察ガイド」岸 由二編(山と渓谷社)1997、「自然へのまなぎし−ナチュラリストたちの大地」岸由二(紀伊国屋書店)1996
●地域は地球。沼も地域も、みんなで育てるもの
手賀沼といえば−、よく知られるのはその水質の汚さです。千葉県北西部、我孫子市・柏市・沼南町にまたがる、広さ650ヘクタールの手賀沼は、残念なことにもう20年以上もの間、霞ケ浦や琵琶湖を上回り、水質ワースト1の記録を更新中です。引き金となったのは流域の市街化。人口は、ここ30年で20倍になりました。生活排水は沼に流れ込み、汚染が進んでいます。 その手賀沼で、1998年8月「手賀沼トラスト」という新しいトラスト運動がはじまりました。たとえ沼は汚くなっても、ここにはまだ、首都圏30〜40キロメートル圏内では数少ない、美しい田園風景と名所旧跡などの文化が残っています。
手賀沼トラストは、手賀沼周辺の樹林地、農地や史跡を守ろうと、地域住民4、5人のメンバーが立ち上げたものです。高齢化で� �れた農地も手賀沼トラストが借り上げ、さつまいもや花の栽培を行っています。
樹林地と農地を結び付ける拠点として堆肥場をつくったり、遊休農地を借りて米づくりをしたりしています。ソバを育て、祭りで自分たちの作物の味を感じたりも。手賀沼周辺の作家による、絵画や彫刻の展覧会も催す予定です。
手賀沼トラストとの関わりによって、地権者にはメリットが生まれます。もちろん地域住民にとっても、地域の文化や自然環境すべてを体験できる場がこんなに身近かにあるなんて、きっと、参加してよかったと思えるはずです。
会の夢は、活動を通じて手賀沼の水が今よりもずっときれいになり、水辺で遊ぶ子供たちの歓声がこの地域の象徴になること。"地域"環境を愛する人が集まれば、地球環境 もきっと改善されていくでしょう。(連結先:手賀沼トラスト事務局tel.0471-82-2268)
10.あなたも参加してみませんか?
ナショナル・トラストは寄付による土地や建物の買い取り・保全契約と合わせて、日々の作業や保全活動を熱心に行っています。環境の守り方も味わい方も地域によっていろいろ。さあ、あなたも参加してみませんか。
<ナショナル・トラスト団体活動例>
KANTA広報注: 活動例は省略させていただきます。但し、社団法人日本ナショナル・トラスト協会ホームページには、KANTAも含め、ここに記載されたもの以上のものが紹介されているので参照のこと。
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